器用貧乏未満

色んなことに興味があるオタクのうわごと

ETV特集を見て思うこと


再放送でETV特集の「熱き島を撮る 沖縄の写真家 石川真生」を見た。



沖縄は今でも基地の島だ。基地周辺はヘリの騒音が日常生活に溶け込み、県全土では年に数回(いや数十回?)不発弾のニュースも聞く。
基地の人間が婦女暴行、不法侵入、窃盗したニュースも同時に届く。アメリカ統治下時代には小学校に戦闘機が墜落し死傷者も出た。アテネ五輪のあった年には大学にヘリが墜落したし、今月は小学校にヘリの窓部品が落下している。


基地があるゆえに起きたニュースは、沖縄県民のまだ濃い沖縄戦の記憶を何度も思い起こさせる。
その一方、数年前までは基地内で働くための専門学校があったし、基地があることで恩恵を受ける住民も少なからずいる。助成金だってほかの都道府県より多いと聞いた。



ただ、沖縄県のすべてを基地で語れるといったらそれは違う気がする。



私の地元は沖縄だ。沖縄のいちばん南の、八重山諸島で生まれ育った。那覇より台湾の方がはるかに近いところである。

沖縄本島から離れていても同じ県に生きる者として、その県で起こった記憶を共有するのは当然だ。
だから、毎年6月になれば学校の課題として祖父母から戦争体験を聞き、「月桃」を歌い、「さとうきび畑」を聞いた。



平和集会では本島から来た地上戦の戦争体験者の話を聞き、図書館に展示された沖縄戦当時の戦争パネルを見て、その恐ろしさに平和であってほしい、という気持ちを大きくしてきた。けれど八重山には米軍基地がない。地上戦も行われなかったかわりに、強制疎開による戦争マラリアで多くの住民が命を落としている。

それでも進学で八重山を出るまでの18年間、戦争の記憶として教えられたのは基地の島・沖縄と、地上戦による苦しみがほとんどだった。





母方の祖母は10人兄弟の1番上だが、自分と末弟以外の兄弟をマラリアで亡くした。認知症で時々昔のことを話すとき、1番むごたらしい亡くなり方をした弟の名前を何度も何度も呼んでいた。


父方の祖母は強制疎開の時は臨月で、疎開先で初めての子を産んだ。けれどその子も1歳にならずマラリアで亡くなった。父の実家の2軒隣は嫁いできた嫁以外の家族が全員マラリアで命を落としている。


だから私のなかで一番身近な戦争の記憶はマラリアの高熱で苦しみ、その後の飢えで生き地獄を生き抜いた祖父母たちのことだ。
何度も何度も平和教育を受けるたび、同じ「沖縄」だけど違う島で起こったことを伝えられるばかりで、八重山の人間が体験した戦争は、沖縄の戦争の記憶とは違うのだろうかと思うようになった。




高校生の時、県全体の高校文化祭で沖縄本島に行ったことがある。文芸部門で参加し、同じ沖縄の高校生が書いた小説や詩や、短歌を目にした。
私の知らない基地のある日常と住宅街を仕切るフェンスから見る空、ヘリの騒音による憤りが作品につづられているものが多かった。リアルな実感と描写について先生たちが作品を品評していた。
私は文化祭が終わってから今でも、あの時触れた作品の風景をリアルな沖縄として実感したことがない。




沖縄県で米兵による犯罪なんて年にごまんと起こる。本州で放送されているのは本当に一部で、いちいちそれに憤っていたら疲れきってしまう。けれど憤らなくてはいけないのだ。それぞれの先祖が成しきれなかった敵討ちでもあるだろうし、今の現実を変えたいからかもしれない。



米軍基地がらみで何度も被害者となったやりきれない気持ち、怒りを露わにするたびに、沖縄の人は基地のある生活・地上戦の記憶を何度も再生する。
それなのにこっちは基地なんてないし、地上戦もなかったんだけど、と冷めた気持ちで見てしまう自分がいる。



もちろん地上戦の凄惨さは理解している、地上戦の後土地を奪われた話だって学んだ。もう二度とあってはならないと思う。はたから見れば私もうちなーんちゅの一人だし、そうだと思ってはいても何度も憤る沖縄の人と相容れないという気持ちがわいてしまう。
一部の沖縄本島の人が言う八重山ヒジュルー(八重山の人間は心が冷たい)の言葉のように、八重山で生まれたからこんなことを思うのかもしれない。




本土復帰後3度目の沖縄県知事・西銘順治の「ヤマトンチュ(本土の人)になりたくてもなりきれない心」という言葉がある。
沖縄の人が、本土の人になりたくてもなりきれない心なら、沖縄の人として疑問を抱く私はいったいなんなんだろうと思う。沖縄本島外で生まれた沖縄の人間はいったいどうやってうちなーんちゅである意識を作ればいいのだろう。

沖縄が怒りに燃える熱き島ならば、怒りの原因である基地の生活・地上戦を経験した先祖を持たない私はいったい何者なのだろう。



ひどい厨二病を患っているのかもしれない。自意識過剰なだけかもしれない。
だから普通の生活では絶対言わないけれど、いつこのもやもやした気持ちにけりをつけられるのかと、時々思う。